バラの花が封じ込められたアクリル板のイス、見たことがあるよね。
と、その程度の認識だった倉俣史郎さんのデザイン。
近所にある世田谷美術館で彼の没30年の展覧会があった。
最終日の前日の土曜日。やはり会場は混んでいた。
閉会間近の週末に大急ぎ駆け込む、僕と同じような人種がいかに多いか。
入場してすぐの4作品は撮影可。代表作品の椅子とテーブルが並ぶ。
来場者は建築デザイン関係者、ファッション業界の人、アート系と思われる服装、髪型、眼鏡着用の小綺麗で個性的な雰囲気の人たちが目立つ。半数以上そんな方だったという印象。自分は対照的に防寒重視の毛糸の帽子にウールのマフラー、アウトドア系ダウンジャケットにやや汚らしい色落ちしたリーバイスのジーンズ、足元は自転車シューズといった格好で、どうも場違いな感じが否めない。まあ、そんなことは関係なく、展覧会は発見があって面白かった。
椅子、テーブル、引き出しといった倉俣史朗のインテリアデザインの作品はどれも実験的で美しく、インパクトがあった。それはそれで印象的なものだったけれど、僕は彼の作品よりもむしろ、人間性と思想哲学に惹かれとても刺激があった。
会場にあった解説文を読み進むと、彼の考え方と哲学がわかってきた。
インテリアデザインという枠に捕らわれない自由な発想を大切にしていること。
自分と社会の関係性を深く観察していること。
例えば重力とか浮遊感とか、普段の生活のなかで何気なく感じる宇宙とつながり。
そんな彼の考えと感覚が作品の背景にあり、生き方に反映されている。
そのことが理解できて嬉しい気持ちが湧いてきた。
彼のエピソードも面白い。人柄を好きになるきっかけになった。
1970年代に店舗デザインを手がけた銀座のお店。こうすぐオープンというときに、店頭のFRP(繊維強化プラスチック)の覆いが、近隣住民の反対にあって撤去させられた。発想とデザインが斬新すぎたのかもしれない。
撤去後、FRPの覆いは焼却場で黒煙を上げる。これを目撃した倉俣史郎は、デザイナーも自分が作ったものが環境にどんな悪影響を与えるのかを考えなければいけないと感じたそうである。地球の環境に関心を寄せる一面も知った。
倉俣史郎は政治にも関心があった。親交があった作家の野坂昭如が参議院議員に立候補したときに熱烈な運動員として選挙活動に関わっている。社会問題や人間の営みとは無関係ではない彼の考えが、政治に関わり、作品の生まれてくる背景にもあるということが伝わってきた。
選挙の投票率が50%を切り、政治に無関心な人が増える今の選挙状況を見て、倉俣史朗はいったいどう思うのだろう。
世田谷美術館のエントランスホールにも倉俣史郎の代表作の椅子が展示してあった。
椅子はすべてが金属のメッシュ。
この作品は自由に座れるので実際に腰掛けてみた。
作者の意図通り浮遊感が感じられて面白い体験だった。
製作は日本の鉄工所が担当していた。椅子の金属メッシュは全面ニッケルメッキが施され、ロウ付けで溶接されている。手作業で金属メッシュをワイヤブラシで滑らかに磨き上げたというから、時間と手間がかかるたいへんな作業だったはずである。座面部分は特別に厚くて頑丈なメッシュが使われている。実用性も考慮されている。
何にもとらわれない。
自由であること。
解放してくれるもの。
実用ばかりが重視される社会はつまらない。何か別の世界へ誘ってくれる倉俣史郎のインダストリアルデザインは面白い。僕は作品よりもむしろデザインを生み出してきた彼の思考と人柄のファンになった。